【正しい本の読み方】わかったつもり〜読解力がつかない本当の理由〜書評レビュー|それってほんとうに理解してる?
「忘れない本の読み方を知りたい!」
「正しい本の読み方を教えて!」
「文章の真意が掴めない・・・」
そんな、文章の読解力に悩みを抱えるあなたにオススメの記事になります!
こんにちは!あうんです!
年に100冊程度の本を読むものです。
この記事にたどり着かれた方は、上記のような悩みを抱えている人が多いはずです。
そんなみなさんに読んでいただきたい西村克彦著の『わかったつもり』の書評レビュー記事になります。
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はじめに
皆さんは、文章を読んでいてその全てを理解していますか?
言い方を変えましょう。
本や新聞、企画書やレポートなどを読む際、書かれている内容全てを理解していますか?
「もちろん全てを理解していているよ!」という人もいれば、「だいたいは理解してるよ!」という人もいるでしょう。
中には、「流し読みだから・・・」という人もいますよね。
たしかに、モノによってどこまで理解すべきかは異なります。
例えば、論文のテストを説く場合はかなり読み込む必要がありますよね。
一方、興味のない分野の新聞記事は流し読みでいいかもしれません。
本や企画書などを読む場合はどうでしょうか?
論文のテストまではいかなくとも、それなりに読み込む必要があるでしょう。
人間の脳は良くできてますよね。
ただその弊害が起こるのです。
「文章の本意が掴めない」
「本の読み方が分からない」
このような悩みを抱えている人が多いのも、その背景によるものです。
『わかったつもり』は、上記のような悩みを抱えている人にオススメできる本です。
今までの悩みの解決策の一つになりうる材料ですよ!
わかったつもり〜読解力がつかない本当の原因〜
文章をよりよく読むために、人は分かろうとします。
”わかった状態“と”わからない状態“については、自分でも理解できるはず。
”わからない→わかる“への流れは、至って簡単。
ただ、その”わかった状態“が文章をよりよく読むための最大の障壁になるのです。
わかっている状態について、“実はよくわかっていなかった”ということが起こりやすい。
つまり、わかっている状態にあると自覚している際に、その状態は”不完全なわかっている状態“ということを理解する必要があります。
つまり、よりよく読むためには、”わかった状態“を壊して、より分かろうとする過程が重要です。
この著書では、”わかった状態“を理解すると共に、より分かろうとするプロセスを学べます。
要約
忙しい人はこの4つを押さえて!
- 分かった状態ではなく、わからない点がない状態が正しい
- 文脈がないと文章全体がわからない
- 文脈には読み間違えの魔力がある
- 探求の心に終わりはない
あうん書評
「文章をよりよく読むには?」という疑問に対した答えを提示しているので、本を読む機会が多い私にとってはかなり有益な情報でした。
文章に触れる機会というのは、日々の生活を振り返ると、意外と多いものです。
ですので、学生やサラリーマンはもちろん、主婦の皆さんにもオススメしたい一冊。
実際に小学校の国語の教科書に掲載されている物語を使った簡単なワークを含め、数多くの例題があるので理解しやすいです。
改めてですが、人間のみが扱える言葉のすごさとムズカしさを体感するでしょう。
いかに、安易に言葉を使い、文章を読んでいるのかが分かります。
この本を知り、実際に読んでみようと思うあなたは、他人よりも一歩前に進むでしょう。
この本を知ってもなお、「俺は・私は、文章をしっかり理解している」と思う人ほど、”わかったつもり“の状態に陥っているでしょう。
まずは、本の冒頭に出てくるワークを皆さんにも体験していただこうと思います。
小学校低学年向けの文章なので、平仮名が多く読みずらいとは思いますが、ぜひ読んでください。
内容は、「いなくなった子ネコのことを心配している母ネコに、それぞれの子ネコから電話がある」というものです。
もしもしお母さん(ワーク)
(参照:著書)
どうでしたか?
とてもわかりやすい内容でしたよね?
“わからない”点はありませんよね??
分からない単語や文法、物語・・・についても、“わからない”点はありませんよね??
この質問に対してはどうでしょうか?
「この物語をもっとわかろうと思いますか?」
「今のわかり方に不満はありますか?」
この問いに対して皆さんは、「あるかもしれないが、それほど現状に不満はない」と答えるのではないでしょうか??
それではワークに移りましょう!
質問1:「どんな物語でしたか?」
この質問に対しては大抵の人が答えられるはずです(さきほどワークに入る前にも記載しています)
答え1:「いなくなった子ねこのことを心配していた母ねこに、それぞれの子ねこから電話があった」
だいたいはこんな感じですよね?
それでは次の質問はどうでしょうか?
質問2:「お母さん猫は、どの子猫とどんな話をしていましたか?」
どうですか?
思い出せない・具体的に答えられない人がほとんどなはず。
次のステップに進みましょう。次の表を埋めて下さい!
解説に移ります。
性別に関しては比較的簡単だと思います。
本文中の、“ぼく”・“わたし”などの言葉から判断可能ですね。
性格は、少し難しいですよね。
みけに関しては、”いたずらっ子の〜“という表記があるので分かると思います。
しろに関してはどうでしょうか?
本文中の母親の返答に注目しましょう。
編み物の手伝いに触れた後に、唐突の”魚のほねに気をつけるのよ“という言葉。
この言葉から推測して、あわてんぼうということが推測できるはずです。
同様にとらに関しても母親の返答に注目しましょう。
見てみると、とらへの返答が「そう、えらいね、しっかりおやり」と素っ気ない感じですよね?
これは、上の二人と比べて注意すべき点がない→しっかりものと解釈できるはずです。
このように、一回流し読みしただけでは分らない情報がたくさん出てきましたね。
表を全て埋めた状態で本文をもう一度読んでみましょう!
どうですか?
先ほどよりも、情景が浮かんだり、気にもならなかった表現が気になったりしませんでしたか?
表を埋めていただく前のことを思い出して下さい。
「わからない点はなかった」と感じていましたよね??
表を埋めたらどうなりましたか?
より物語がわかった感じがしませんか?
つまり、物語を一読した後の状態は、”不完全なわかった状態“つまり”わかったつもり状態“だったんです。
このようなことが日々起きています。
先ほどの皆さんのように、わかったつもり状態を自覚することはないでしょう。
このジレンマが、文章をよりよく読む際の最大の障壁となり得るのです。
文章や文を分かるとはどういうこと?
そもそも、文章や文を分かるとはどういう状態のことを指すのでしょうか?
次の例文を読んでください。
①サリーがアイロンをかけたので、シャツは綺麗だった。
この文章については、ほとんどの人が理解できます。
それでは、次の文はどうでしょうか?
②サリーがアイロンをかけたので、シャツはしわくちゃだった
「????」と一瞬なる人が多いのではありませんか?
この例題が示すのは、文章や文を理解するには、前提知識が必要になるということです。
①の文は、アイロンというものがいかなるものか、アイロンがけの効用について知っていなければ理解不能です。
②の文は、サリーが不器用であるという知識があれば理解可能ですよね??
つまり、文章が分かるというのは、一読後では分からなかった文と文のつながりを理解することなのです。
そして、よりわかった状態とは、部分間の関係が以前よりもより密なモノになる状態のことを指します。
もう一つ例を出しましょう。
③布が破れたので、干し草の山が重要であった。
前後に分けて考えれば理解できますよね?
ただ、そのつながりは分かりません。
(この状態がわかったつもり状態。)
そこで、“パラシュート”という言葉が与えられたらどうでしょうか?
パラシュートの布が破れたので、落ちる衝撃を和らげるための干し草の山が重要である。
という前後のつながりを見出せます。
(この状態がよりわかった状態。)
私たちは母国語についての熟達者です。
小学生ともなれば、普通はかなりの程度で熟達者です。
つまり、ある程度は読める状態にあります。
そのような人たちが、“よりよく”読むためには、“わかったつもり状態“の存在をはっきりさせる必要があるのです。
『もしもしお母さん』レベルの内容であれば、“わかったつもり状態”でも大まかな解釈の間違いは起こりませんし、普通はその程度の理解でも大丈夫です。
ただ、論文やレポート・企画書など、より込み入った内容になるとそう上手くはいきません。
“わかったつもり状態”が間違ったもの・間違った解釈の場合もあるのです。
その意味でも、“わかったつもり状態”を壊す術を身につける必要があるというわけです。
文脈が分からないと“わからない”
日々の生活で“文脈”を意識している人はごく僅かでしょう。
ただ、我々が思う以上に文脈の影響力は絶大です。
例題で見ていきいましょう。
④新聞の方が雑誌よりいい。
街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くより走る方がいい。
何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが、つかむのは易しい。
小さな子供でも楽しめる。一度成功すると面倒は少ない。
鳥が近づきすぎることはめったにない。ただ、雨はすぐしみ込む。
多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる。ひとつについてかなりのスペースがいる。
面倒がなければ、のどかなものである。石はアンカーがわりに使える。
ゆるんでものが取れたりすると、それで終わりである。
(参照:本著)
上の文章について、“わからない”点はあったでしょうか?
言葉としては理解できたのではないでしょうか?
ただ、何の話をしているかはさっぱりですよね?
それでは、“凧を作って揚げる”という文脈が与えられたらどうでしょうか??
文章全体のつながりや、それぞれの意味について納得していただけたのではありませんか?
ここで一つ質問です。
“凧を作って揚げる”という言葉に含まれている情報だけで、上の文章が分かるようになったのでしょうか?
答えは、“ノー”です!
言葉の情報ではなく、凧にまつわる知識があるからこそですよね。
例えば、凧は一度上がると後は比較的楽です。
このことを知らなければ、「一度成功すると面倒は少ない」ということは分かりませんよね?
先ほどの①の例題も同様で、アイロンがいかなるものか分からなければ、理解はできません。
このように文脈が与えられることによって、その知識を活用し文章を読み解きます。
我々の脳は、数えきれない情報を整理し、記憶or排除を繰り返します。
しかし、いつも記憶している知識を認識しているわけではありません。
必要な時に必要な知識をピックアップしているのです。
あることがらに対する、私たちの中に既に存在しているひとまとまりの知識のことを“スキーマ”といいます。
つまり、何の話か示唆されると、“どのスキーマを使えば良いか分かる”ので、それを使って処理するのです。
文脈を与えられることで、その場に応じた知識を引っ張り出して処理するので、理解できる仕組みです
文脈の魔力
先程、文脈によってスキーマが選ばれ、活用されるという話をしました。
ただ、文脈が文章をよりよく読むための障壁になる場合もあることにも言及しなければなりません。
皆さんは、『鶴の恩返し』を知っていますよね?
日本の伝統的な物語の一つです。
概略としては、ツルがつうという女になって、よひょうの所へやってきて布を折るという物語です。
この物語について、「ツルがおひょうの所に来た理由はなんですか?」という問いに対して、多くの人は「助けてもらったその恩返しとして」と答えます。
しかし、これは間違いです。
文章をよく読むと「そのよひょうの親切がうれしくて、つるは“つう”という女になって、よひょうの所へおよめに来たのでした」「つうの願いはお金でも都でもなく、ただ、よひょうと、二人で楽しく働きながら、いつまでもいつまでもいっしょに暮らしていきたい、ということだけなのでした」とあります。
このように補助的な役割を果たすスキーマが、そのまま文脈としてダイレクトに機能する場合もあるのです。
スキーマを文章に簡単・粗雑に当てはめることによって、間違った“わかったつもり”を作り出してしまうのです。
まとめ
今回は西林克彦著『わかったつもり〜読解力がつかない本当の原因〜』の書評レビュー記事になります。
母国語を熟達しているからこそ生じる“わかったつもり”状態。
その状態を認識し、さらなる探究心を見出すことで“よりわかった状態“へとたどり着くのです。
ほとんどの人が“不完全なわかった状態”を“完全なるわかった状態“と考えております。
大事なのは、終わりなき探究心を持つことです。"わからない→わかった"で終わるのではなく、時間が経ち、新たな“わからなさ”を見いだしたり、他者から新たな深い解決策を見いだしたりするべきです。
常に“本当なの”というWhy?の心を持っていれば、“不完全なわかった状態”を破壊して“よりわかった状態”へとステップアップできるでしょう。
本著では、“わかったつもり状態”を自覚する術を紹介するとともに、いかにして“よりわかった状態”にするのか、そして、文章を“読む”という根本的な部分にまで言及しています。
学生はもちろん、社会人には必読の一冊だと考えます。
文章を読むとは?を考えることで、言葉の重要性を再認識するきっかけにもなりますよ。