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倉崎憲さんをご存知ですか?~大学在学中にラオスに小学校を建て、世界一周を経験した男

こんにちは!阿吽です。

みなさんは倉崎憲という方をご存知ですか??

先日、大学のある講義に倉崎憲さんが招かれました。

私は知りませんでしたが、何人かの友人は彼を知っていました。

さらに、教室には彼の話を聞こうと履修登録をしていない学生もいて教室が満席状態でした。

結構有名な方なんだというのが第一印象です。

まずは、彼のキャリアを簡単に紹介します。(倉崎さんのブログと講義内容を参考にしています。)


倉崎憲はどんな人?

NHKディレクター
49カ国旅したキャリアを持つ
ラオスでの小学校建設活動に携わる
映画監督を夢見る
大河ドラマの助監督(入社1年目)
世界一周を個人協賛で実行する

ラオスに小学校を建てようと決意するまで

大学に通い、4つのサークル(全部球技)を兼任して生活しており、大学生を楽しんでいる状態だった。

しかし、1年生の後期あたりから虚無感に襲われたそうです。なにやってるんだろう、大学にきてまですることじゃないよな、という。。

それである日海外に行こう!と決意し、※ラオスラオス人民民主共和国)に行きました。

東南アジアのインドシナ半島に位置する。人口約691万人。面積は日本の約63%に相当。
北は中国。東はベトナム。南はカンボジア、タイ。西はミャンマーと国境を接する内陸国

それで現地の人と触れ合う中で、学校をつくろうと決心します。
150万円あれば建設できることをしり、そのグループを作って、資金集めに取り掛かります。

詳しくは講義中に語ってはくれませんでしたが(時間の都合上)、バンドなどで活動して資金を集めていたそうです。

学生の質問

Q.反対はされなかったのですか?なんでラオスに小学校を建てようと思ったのですか?
A.もちろんされました。でも、なんでラオスに小学校だったのかは、偶然です。

偶然行った、ラオスでそこの人たちのことが好きになったからです。そこでもし、カンボジアとか他の所に行ってて、好きになったら、そこに小学校を建てようと思ったはずです。

もちろん、日本でも困っている人はいます。海外でもいます。問題もたくさんあります。地雷、エイズ、食料不足、衛星管理などキリがないです。

挙げようと思ったらたくさんあります。

学生の私では、世界を変えることはできないけど、小さいだったらやれることはあると思います。

それが小学校でした。



小学校ができて、子供たちのうれしそうに授業を受けている姿を見たときの気持ちは、言葉では表せないほどだったそうです。

そういう貴重な経験は、行動した人にしか味わえないもの。

だから、より旅をすることが好きになったそうです。

大学生で小学校を建てる。この発想が本当にすごいですよね。

話を聞いてて、この人とは次元が違うなぁーって思ってしまいました。


また、彼は大学在学中に世界一周をしています。

150万あれば、一周できるようです。

小学校建設費と同じぐらいで一周できることに驚いたそうです。

でもそんなお金は持っていないため、お金を集める方法を探していたとき、あるテレビ番組を見て実行に移します。

そのテレビ番組の内容を説明します。


- 夢を持った若者がいます(カフェを経営したい、パン屋を経営したい、など)

  • 若者が複数の社長に向けてプレゼンテーションします(なぜその夢を実現したいのか、それにかかる費用の内訳、など)

  • プレゼンを受け、それぞれの社長がその人に出せるお金(投資できるお金)を掲示して、その合計金額が、ある一定額を超えた場合社長からお金がもらえる(投資をしてもらえる)というシステム。

世の中、いい人たくさんいるんですよ。返さなくていいから、とお金を出してくれた方々がほとんどだそうです。

「自分は家庭があるため、もう世界を見て回ることはできない、若いあなたの目で見てきたことを発信してほしい」といってくださった社長もいるそうです。

かっこいいですよね笑

倉崎さんは、お金をコツコツお金を返しているそうです。笑


そんなこんなで世界一周旅行に行く倉崎さん。

世界一周旅行して得られたこと

・旅行は様々なことを学べる
・いつ死んでもいい生き方をする
・映画監督になりたい
・まとめ、明言



旅行は様々なことを学べる

資金集めに成功した彼は、世界一周旅行に出かけます。旅行に行って得られないものがあるはずはなく、多くのことを学ぶことができたそうです。この経験が忘れられずに、毎年必ず3か国は巡る旅を続けています。

大人になったら、海外旅行なんか行けないという考えがありましたが、現実は違っていました。最初に十何連休と休みを取ったときは怒られたそうですが、次第にそれが彼のキャラになっていったそうです笑

いつ死んでもいい生き方をする

ケニアに行った際、人が死ぬのを目の前で見たそうです。

喧嘩をしていたケニア人。片方が拳銃を取り出し、頭に1発。その後、そのシーンがフラッシュバックして思い出し、こう思うようになりました。死は必ずやってくる。今日かもしれないし、明日かもしれない、何十年後かもしれない。だったら、いつ死んでもいいような生き方をしよう、と。

何回か聞いたことのあるような言葉でした。しかし、リアルを知る倉崎さんの言葉で、私もそんな生き方がしたいと思うようになりました。ブログを始めるきっかけの1つでもあります

映画監督になりたい

インドに滞在中のことです。遺体が次々に運ばれてきて、焼かれていくさまを見て彼は思いました。映画監督になりたいと。そこで彼は、現地のパソコンで調べ、ニューヨークにある映画の専門学校にその場で申し込みます。その学校は、4人で1つのグループとなり、毎週毎週違ったテーマで映画をつくります。監督ではない日は、マイク担当だったり、音声担当をするそうです。そこには、黒人から白人まで、様々な文化背景を持った人が集まってきます。英語の訛りもあり、そこまで、英語が流ちょうに話せなかった倉崎さんは、ある日から仲間外れにされたといいます。

「あの日本人は使えない」という感じで。家に帰って泣く日々で、人生で初めて経験した挫折だそうです。しかしある日、人助けをし、その人が映画プロデューサーだったそうです。しかも、もうすぐ新しい映画がクランクインする間近だったそうです。倉崎さんは、チャンスと思い、メールでその現場に参加できないかというメールを送ったそうです。しかし、返信は返ってこず、倉崎さんもまたあきらめずに、何度もメールを送ったそうです。

情熱が伝わったのか、現場に来るように指示されます。(ハリウッド映画です。)その監督は、全スタッフに自分のことを紹介してくれたそうで、「日本から映画を勉強している倉崎だ。」のように。そんな、ハリウッドの現場を体感し、映像を作り出す魅力にはまっていったそうです。

現在

NHKで様々な映像を作っています。ラジオドラマで世界から猫が消えたならを作成しました。原作は川村元気さん。映画にもなりました。3つとも雰囲気が全然違います。ぜひ見て、聴いて、読んでみてください。

まとめ、名言

倉崎憲さんの名言です。

いつ死んでもいい生き方をする
アナログ的な体当たりでしか、リアルは生まれない
一生一度、一日一生

彼の小学校を建てた事実をもとに作成された映画を紹介します。

僕たちは世界を変えることができない


これをみていただければ、彼がどんなことをしてきたかについて、理解が深まると思います。